病院設立について

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黒田先生との再会と病院設立について

学生の頃、黒田先生とよく「いつか一緒に病院を作ろう」と話をしていました。夢を語り合うだけで胸が躍り、希望に満ちていた時代です。

その後、私と黒田先生は大学を卒業してから別々の病院で勤務していましたが、それでも年に一度は整形外科のクラス会で再会し、学会などでも顔を合わせることがありました。黒田先生とは本当に馬が合い、互いの家に訪れることもしばしばありました。

松戸市立病院に勤めていた頃、母が肝炎を患い、体調を崩していました。そんなとき、黒田先生がわざわざお見舞いに来てくれて、そこで何気なく「ぼちぼち病院をやろうか」という話が再び持ち上がりました。しかし、当時の医局の先生方からは、「いずれ二人は喧嘩別れし、すぐに潰れる」と厳しい声が多く聞こえてきました。それでも二人の信頼関係を確信していたため、絶対にそういうことは起こらないと自信を持って進めることが出来ました。

当時、松戸市立病院には整形外科がありましたが、それ以外で松戸周辺には手術の出来る整形外科の病院がなく、外科の先生たちが整形外科の患者を診て手術している状況でした。

その結果、骨折は偽関節や感染症、さらには骨髄炎が発生することもあり、「僕らが整形外科を専門に行い、より良い医療を提供したい」という思いがありました。そして、病院の土地探しが始まりました。場所の候補地として柏、流山、馬橋が挙がり、篠原先生にも相談しました。篠原先生は「馬橋が開けているから、ここでやったらいい」と提案してくださいました。そして、この地に決まりましたが、病院の周辺は、江戸川や坂川の影響で人口が極めて少なく、特に坂川には橋が架かっていなかったため、馬橋駅側の地域からの来院が困難な状況でした。

そのため、市長に橋の架設をお願いしに行ったりもしました。その甲斐あってか、思ったよりも早く橋が完成した気がします。(笑) それが馬橋旭大橋です。

その後、準備は多くの方々の協力によって進んでいきました。私が松戸市立病院で診ていた患者さんで、市議会議員の町山さんという方が、青年会議所の人たちと私たちをつないでくれました。青年会議所には当時理事長を務めていた安蒜会計事務所の安蒜先生もおり、サポートしていただきました。

資金面でも多くの障壁がありました。あちこちの銀行を回ったものの、30代の私たちには担保がなく、どこも貸してくれませんでした。そんな中、常陽銀行が無担保で資金を貸してくれたことは本当に大きな助けになりました。

病院設立において、最も困難だったのは資金集めと人材確保でしたが、多くの方々の協力と信頼が私たちを支えてくれました。病院設立当初は、集客にも苦労しました。初日の来院患者さんは忘れもしない、たった4人でした。

しかし、市立病院の篠原先生や藤塚先生、後輩医師たちが患者さんを紹介してくださり、徐々に病院が軌道に乗っていきました。

開院式典に大臣訪問

私たちが病院を開院した当時のことは、今でも鮮明に覚えています。開院式典には、なんと当時の増岡厚生大臣がお祝いに駆けつけてくださったのです。そのご縁の背景には、私の両親との深いつながりがありました。母が私の開院を知らせたところ、大臣は快く式典にご出席くださいました。

式典当日、大臣のご来訪ということで、パトカーの先導に加え、警察官やSPの方々まで同行する厳重な態勢が敷かれました。

その光景は圧巻で、国会議員、市議会議員、千葉大学の先生方をはじめ、多くの方が驚かれた様子でした。
通常の式典ではなかなか見られない光景だったので、その様子が会場全体を一層特別なものにしてくれたように感じました。

また、当院の石碑には増岡大臣の筆跡を刻んだものを使用しています。大臣自らが筆を取ってくださったことは、私たちにとっても大きな誇りであり、あの特別な一日を象徴する大切な記念でもあります。

このような素晴らしいご縁に恵まれ、式典を無事に迎えられたことは、私たちの病院の歴史の中でも大切な一ページとなっています。

医療法人社団青嶺会 松戸整形外科病院 ロゴ

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